2015年10月23日
三国志 12巻
三国志12巻

呉に敗れ疲弊しきっていた蜀は、孔明により国力を回復していく。その後南征し南中の反乱鎮圧と平定をおこない力をつけていった。
一方、魏帝の曹丕が呉との戦に勝てないまま無念の病死。子の曹叡が継ぐ。
かつて蜀から魏へ寝返った孟達は、曹丕の死により、再び蜀へ寝返るか魏に留まるかをうかがっていた。
魏の司馬懿は以前から孟達の寝返りを危惧し、寝返る前に孟達の首をとろうとしていた。一方で蜀の孔明は孟達を誘い、再び蜀に引き込もうとしていたが、司馬懿の計画を阻むことができず、孟達の首をとられてしまう。
少し時期をおき、魏討伐を決行した蜀は、趙雲、魏延、馬謖、王平などを出陣させて臨んだが、馬謖の軍令違反の行動をきっかけに魏軍に敗れてしまう。
孔明は馬謖の才能を惜しいと感じながらも責任を重く受け止め、処刑の決断をした。
更に時が経ち、ついに蜀の豪傑趙雲が病死してしまう
13巻へ続く
魏との戦では、孔明による魏討伐の緻密な作戦も馬謖一人によって全てが崩されてしまいました。
孔明は息子のように可愛がり信頼していた馬謖を、軍律を保つために断腸の思いで処刑する決断をしました。そのとき孔明は、馬謖を抜擢して戦に出した自分を責め続けていました。
馬謖は実戦経験や負ける経験をあまりしていなかったことが、暴走してしまった原因と言われています。
「泣いて馬謖を切る」という諺はここからきてますね。
問題の呉ですが、孫権は兵の消耗を嫌い、魏や蜀とまともにぶつかることを避けるようになります。孫権は戦いで覇者になることより、民政による繁栄で競うべきではないかという考えに変わってきています。元々民政の統治に長けていると言われていた人物ですしね。
呉の将軍陸遜は、そんな孫権の考えに賛同していません。機会があれば攻めるべきという意見も、孫権にあまり聞き入れてもらえず…
やはり呉が好きになれないです。孫策、周瑜がいた頃は面白かったのに。
次はようやくラストの13巻!