2017年05月18日

アジカン 軌跡 2003-2013


アジカンの逸話をこの本を読んで自分なりにまとめてみました。




デビュー10周年の時に購入した本から、アジカンの出来事などを引用しています。

購入当時は、あまりしっかり読んでなかったので、最近引っ張り出してきて読んでました。

2013年のデビュー10周年記念ライブまでの足跡となります。

2003-2013となっていますが、2002年のことも少し書いてます。

アジカンのことをもっとディープに知ることができます!

何か間違ってたらスミマセン。先に謝っておきます。笑


最後の方には、アジカンのCDジャケットのイラストを担当した中村佑介のコメントも少しまとめてます。





2002年

初の正式音源「崩壊アンプリファー」をリリース。
このミニアルバムから歌詞を日本語にした。





2003年

「崩壊アンプリファー」をキューンレコードより異例の再リリースとなりメジャーデビュー。
このアルバムはもっと売れるべきだ、とキューンの社長が言ったことがきっかけ。

ベースの山ちゃんはバイトを辞めて音楽に専念する際、バンドが忙しくなったため、バイトを辞めることにした。バンドが忙しすぎて、自分のために開いてくれたバイトの送別会を欠席してしまった。

デビュー前にレコード会社のスタッフと会った際、ギターの健さんは一切信用していなかった。

1stアルバム「君繋ファイブエム」をリリース。





2004年

初のワンマンツアー「five nano seconds」を開催 全13公演

2ndアルバム「ソルファ」をリリース。

1stアルバム「君繋ファイブエム」の他のタイトル候補に「five nano seconds」という名前があった。
この名前は2004年のツアータイトルに使用している。

「ループ&ループ」は、君繋フィイブエムの時には出来ていたらしいが、君繋がポップ過ぎてしまうのを避けるため、2ndアルバム「ソルファ」に入れた。

ソルファのアルバム完成度が高く、アルバムチャート2週連続1位を記録するが、その後のツアーでの曲の再現性が難しく、特にゴッチが凹んでいた。

ゴッチは、リライトはそんなに売れるとは思っていなかった。
リライトのアニメ主題歌&シングル化の話について、ゴッチは勝手に話が決まるのは許さない、と怒って帰ってしまった。しかしこの曲がアジカンで1番売れた曲となった。





2005年

Re:Re:ツアーを開催 全48公演

この年は、3rdアルバム「ファンクラブ」のアルバム制作をしていた。制作に1番時間が掛かった作品
バンドがアレンジなど難しい方向に迷走していて、作曲が上手く回っていかなかった。
シングル曲は「ブルートレイン」の他にもう1曲決めようとしていたが、なかなか決められず、もう1曲作ることに。そこでアルバム制作締切ギリギリに作られたのが「ワールドアパート」だった。ファンクラブの曲の中で、この曲だけエンジニアが違う。
このアルバムの特徴としては、コーラスが圧倒的に少ないこと。またファンクラブでは、ソルファの教訓を活かして、ライブで再現しやすいように考えて作られた。

インディーズ時代のストック曲も全部吐き出していたので、全部まっさらなところから曲を作っていた。
メンバーにもすごく要求して、ケンカも多く、殺伐とした中で制作された。
「月光」ができた時、これはシングルだ!と思っていたが、レーベル側は「ブルートレイン」という判断だった。
ゴッチ曰く、「ファンクラブ」はすぐに評価されなくていい、10年後にも確かに熱いものを作りたい、という思いで作られた。
このアルバムの評価が良かろうが悪かろうが、一切信用していなかった。
ソルファが売れ過ぎた影響で、リスナーに対し「ホントにわかってるのか?」、「みんな流行ってるから聴いてるだけじゃないの?」、「消費されているだけでは?」といった恐怖を味わっていたとのこと。
ファンクラブは、ゴッチのインナーワールド、内側を描いたアルバム

ReReツアーでは、キヨシ以外の3人でご当地ソングを作って披露していた。この作曲作業からいいネタが生まれ、後に発売されるアルバム「ファンクラブ」の曲やカップリング曲に繋がっていった。

このツアーで、キヨシティボーイズ(ビースティボーイズ風な、潔がラップボーカルを務めたスタイル)をやっている。

サマーソニックで、オアシス、ウィーザー、カサビアン等と同じマリンステージに立つ。健さんは飲み過ぎて酔いつぶれてしまったため、1人だけ憧れのオアシスメンバーに会えなかった。
ドラムの潔はカサビアンメンバーにすごく褒められていた。
楽屋からステージへバスで移動する際、メンバーは運転手にバイトと思われていた。





2006年

3rdアルバム「ファンクラブ」をリリース

ツアー「count 4 my 8 beat」を開催 全38公演

自分達のスタジオ「107」が完成。名前の由来は、軽音楽部の部室の部屋番号から。初心を忘れずにという意味も込められている。このスタジオで最初に作った曲は「十二進法の夕景」


この年のツアーの岐阜公演は、ゴッチの急性咽頭炎により延期となる。このツアーあたりで、潔の腰や腕にもガタがきた。公演が延期されたのは2013年現在でこの時だけ。

初めてフジロックのグリーンステージに立つ

「嘘とワンダーランド」は、健さんがゴッチに歌ってもらうつもりで作ったが、健ちゃんが歌えば?と言われ、そのまま健さんがボーカルを担当することになった。

カップリング曲の「絵画教室」と「堂々巡りの夜」は、ファンクラブのアルバムに入らなかった曲

「或る街の群青」のオープニングの街の声は、ゴッチが新宿で録ってきたもの。セッションで作っていき、最初は組曲的なもっと難解でとても長い曲だった。X JAPANの「ART OF LIFE」のような壮大な曲を作ろうとしていた。

ナノムゲンフェスでは、潔プロデュースのバー「ゲストリアム」など、伊地知が後に手広くプロデュース始める最初のきっかけとなった。





2007年

ツアー「酔杯 2007 〜Project Beef〜」を開催 全11公演

主にアルバム「ワールド ワールド ワールド」の制作をしていた。この時期の曲作りはまだまだ時間がかかった。
「アフターダーク」は「リライト」に対抗できるようなアッパーな曲を意識して作られた。
アルバム曲の中では、「新しい世界」、「ネオテニー」が早い段階でできていた。

アジカン憧れのHUSKING BEE「欠けボタンの浜」にトリビュート参加。アジカンとしては初めてトリビュート作品に参加した。

韓国で初のワンマンライブ





2008年

ツアー「ワールドワールドワールド」を開催 全31公演

4thアルバム「ワールド ワールド ワールド」、ミニアルバム「未だ見ぬ明日に」、5thアルバム「サーフ ブンガク カマクラ」など、怒濤のリリースラッシュとなる。
このリリースラッシュは、自分達のスタジオが出来たことが大きいと話している。

当時「ワールド ワールド ワールド」は、2枚組にしようという話も出ていたが、分けることにしてワールド〜に収まりきらなかった楽曲を「未だ見ぬ明日に」として発表した、いわゆるテイクアウト集。

ワールド〜は外の世界について歌ったもので、ファンクラブとは対になっている。

サーフ〜は、原始的なことをやってみようという考えで作られた。このアルバムはほぼアナログ一発録りである。





2009年

初のホールツアー「ワールドワールドワールド」を開催 全18公演

ツアー「酔杯リターンズ」を開催 全10公演

ワールド〜のホールツアーで、ゴッチと山ちゃんが初の凱旋ライブ。また、このツアーでゴッチと健さんが初の弾き語りをやった。

「新世紀のラブソング」ができた時、ゴッチは、凄まじいものができた!この1曲で日本のロックの歴史が変わるんじゃないか!と勝手に思いつつメンバーにデモを送ったが、ノーリアクションでメチャメチャ腹が立った。
メンバー曰く、どうアレンジしてよいのか、戸惑っていたらしい。
この時期から、ゴッチは言葉について更によく考えるようになり、毎日詩を書いていた。歌詞に関しては非常に悩み、いろいろ試行錯誤があった。





2010年

6thアルバム「マジックディスク」をリリース

アジカン史上最多本数ツアー「VIBRATION OF THE MUSIC」を開催 全75公演。
ツアーは翌年の2011年まで続いたが、東日本大震災によりホール5公演が中止となる。


アルバムの楽曲には、ホーンやパーカッションなど様々な楽器を取り入れており、4人バンドという形態にこだわらない作品作りをしている。

「ソラニン」はエクストラトラックとして最後に収録されているだけなので、本編のラストは「橙」。

「イエス」、「ライジングサン」で初の海外レコーディングをおこなった。

この年のツアーではサポートメンバーとしてフジファブリックの金澤ダイスケが参加。
ゴッチは、金澤と繋がりかなかったのにもかかわらずオファーをした。
ゴッチが映画「スクラップヘブン」を見た際、エンディング曲であるフジファブリックの「蜃気楼」のピアノソロを聴き、いつか金澤と一緒に演奏してみたいと思ったのがきっかけ。

フジロックのグリーンステージに2度目の出演





2011年

昨年から続くツアーの途中、東日本大震災により、ツアーが中止となる。

ツアー後半は、メンバー同士で音楽的なことで衝突が多く、解散危機があったが、サポートメンバーの金澤ダイスケに助けられた部分が多かったという。
また、東日本大震災がきっかけになり、喧嘩してる場合じゃないということで、再びバンドがまとまっていった。

健さんがナノムゲンフェスに遅刻。ASHと共演予定の健さんが緊張のあまり吐いてしまったことが原因。

震災をきっかけに、ゴッチが新聞「THE FUTURE TIME」を作り始める。また、ソロで色々なイベントに参加していく。

潔は、空いた時間ができたことでソロ活動をする。様々なライブハウスでセッションし、インストバンド「PHONO TONES」を結成するなど、活動の幅を拡げていく。

健さん、山ちゃんのユニット「コスモスタジオ」が少しの間活動する。現在は、山ちゃんが脱退して健さん1人で活動中?





2012年

初のベストアルバム「BEST HIT AKG」、7thアルバム「ランドマーク」をリリース。

ベストツアー「BEST HIT AKG」を開催 全4公演

ランドマークでは、初めてメンバー全員のクレジットが入った。
アルバムの楽曲は、短時間で思い付いたフレーズをそのままに作っていったため、あまりストレスなく作られた。
また、震災後のアルバムなので、メッセージ性の強い作品となっている。

「AとZ」は、潔が初めて手掛けた楽曲である。

ランドマークツアーのライブは、4人では再現できないと思い、コーラス、鍵盤、ギター、パーカッションのサポートメンバーを加えた。これは、ランドマークで広げてしまった音像をライブで再現するなら、コンピュータではなく人力でやりたいという思いがあったためである。
因みに、パーカッションを担当した三原さんは、アジカンデビューから潔のドラムテックを担当している。

ベストアルバムの選曲は、ゴッチ以外の3人でおこない、健さんと潔の選曲が全て一致し、山ちゃんとは1曲だけ違うという結果だった。
因みに、健さんは選曲にかなりの時間をかけたが、潔は5分くらいで選曲した。
健さんは、まだアジカンのことをよく知らない人に向けて考え、マニアックな選曲というより、アジカンっていいなと思ってもらえるような曲で選曲したという。
また同時期にゴッチ選曲による架空のベストアルバム「芋盤」、「骨盤」が発表された。

ベストアルバムツアーではゴッチが主導で選曲した。

17thシングル「踵で愛を打ち鳴らせ」は、健さんが持ってきたネタでセッションし、30分くらいで出来た曲。その後、ゴッチが歌詞を書いたが、これも短時間で書き上げてしまった。

山ちゃんは、片平里菜のプロデュースをし、この年のナノムゲンでは、健さんがゲスト出演した片平里菜のサポートをした。





2013年

スタジオライブアルバム「ザ・レコーディング at NHK CR-509 Studio」をリリース

ヨーロッパツアー
イギリス、フランス、ドイツの3箇所で開催。非常に盛り上がるライブとなった。

メンバーが最も好きな曲の一つ「今を生きて」は、ゴッチ以外の3人でデモを作り、後からゴッチが歌詞をつけた。
この曲の誕生秘話として、7thアルバム「ランドマーク」の制作が佳境になっている時に、映画主題歌の話がきたが、ゴッチはアルバム制作で忙しく手が離せないということで、主題歌の楽曲作りは3人に任せたという。

「ローリングストーン」は、潔のデモを元に作られた曲。構想に2〜3年かけたらしい。

ゴッチが横浜スタジアムにて始球式

横浜スタジアムにて、アジカンデビュー10周年記念ライブを開催。
1日目はメンバー4人のみで、ファン投票によるベストセットライブ。
2日目は、サポートメンバーを含む7人編成&ゲストを交えたスペシャルライブ。
来場者には新曲「ローリングストーン」、「スローダウン」の2曲がプレゼントされた。







ジャケットイラスト担当
中村佑介のジャケットへの想い

ミニアルバム「崩壊アンプリファー」のジャケットの女の子は、鼻血を出したイラスト案があったがNG。しかし、君という花のジャケットイラストでリベンジした。

サイレン以降、ジャケットイラストにはっきりとした色のイメージをつけていった。アルバムのジャケットイラストは特に難しい。

ブルートレインからちょっと大人になったなという感じがしたので、絵柄としても、もっと大人っぽくしなきゃいけないと思った。

フィードバックファイルのジャケットについて、次に訪れる変化の前の総決算みたいな意味合いを持つんだろうと思い、女の子の後ろに洗濯機を置いた

中村自身、もともとは明るい絵を表現していくことを好んでいたため、内に入っていくアジカンの世界を描くのは辛く難しかった。
「未だ見ぬ明日に」でアジカンのジャケットイラスト制作は辞めようと考えていたため、最終回として裏ジャケットにこれまで描いた全ての動物を登場させた。

結果、最終回にならなかったのは、「藤沢ルーザー」で抜けたな!という感触があったため。
「サーフ ブンガク カマクラ」のバンドの楽しい雰囲気が伝わってきて、これなら描こうと思った。

「新世紀のラブソング」以前のイラストは、無機質な人形のような女の子を描いていたが、楽曲におけるゴッチのメッセージが強くなってきたため、色使いもハッキリとした、人間らしい女の子を描いくことで、それを表現した。

「迷子犬と雨のビート」のジャケットの女の子が裸になっている意味…
新しいことに挑戦していく姿を見せているアジカンに対し、いつまでもソルファに拘っているファン。このファンに対して、もうソルファはいいじゃないか!捨ててやるぜ!という皮肉なメッセージが込められている。

ベストアルバムのジャケットはノータッチ。

ランドマークのジャケットでは、世の中の問題、日本の問題を一人一人しっかり考えてほしいという意味を込めて、「日本人であること」、「遠く離れた世界」を同時に描いた。それが舞妓と宇宙の共存という形になった。
また、舞妓なら海外の人にもアピールできるという考えもあった。

「今を生きて」は、すごく前向きな曲で、今そこに全力を注ぎ込むっていうイメージを考えたら結婚じゃないかと思い、ジャケットの女の子にウエディングドレスを着させた。

最初のアジカンは、良くも悪くもゴッチのワンマンバンドという印象だったが、マジックディスク辺りからそれぞれの楽器が意思を持っている感じがする。4人それぞれのカラーが楽曲の中にちゃんと自立している。


すごく長くなりましたが以上です!

また時間があれば引用させてもらい、まとめたものを記事にさせてもらいます。

よろしくお願いします。




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Posted by ヨースケ  at 22:06 │Comments(0)アジカン

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